徳島県立鳥居龍蔵記念博物館より、展覧会のご案内をいただきましたので、お知らせいたします。

     





徳島県立鳥居龍蔵記念博物館 

2026年度企画展「日本人類学のパイオニア 坪井正五郎」 

会期 2026年10月17日[土]~11月23日[月・祝] 

会場 徳島県立博物館 企画展示室

     

【開催概要】 

徳島出身の人類学者鳥居龍蔵(1870-1953)は傑出した研究者でしたが、 その才能を見出し育てたのは、 恩師坪井正五郎(1863-1913)でした。
坪井は、1884(明治17)年、大学生でありながら、仲間とともに人類学会(現在の日本人類学会)を設立し、 1893年には東京帝国大学人類学講座の初代教授に就任するなど、人類学の確立発展に努めたため、日本人類学のパイオニアといえます。坪井は、各地で遺跡や習俗などの調査・研究を行ったほか、 市民向けの講演にも精力的に取り組みました。一方、坪井のもとには、 多種多様な経歴を持つ人々が集い、鳥居のほか大野延太郎(1863-1938)ら後進が育っていきました。
この企画展では、坪井による人類学研究の様相を紹介するとともに、坪井の下で学んだ鳥居と大野の業績を紹介することで、日本人類学の黎明を顧みたいと思います。 

    

坪井正五郎について(国立国会図書館 近代日本人の肖像 より)

 生没年 文久3年1月5日 〜 大正2年5月26日(1863年2月22日 〜 1913年5月26日)
 出身地 東京都
 職業・身分 学者(自然科学)

 人類学者、考古学者。明治14(1881)年東京大学に入学し動物学を専攻したが、在学中から考古学に興味を持ち人類学を専攻。17年人類学会(後の東京人類学会)を創設、19年『人類学会報告』を発刊。19年帝国大学理科大学卒業後、大学院に学び、その後イギリス、フランスに留学。25年帰国後に同大学教授となり、新設の人類学講座を担当。日本の考古学、人類学の普及と確立に寄与した。祖父は蘭学者の坪井信道。地質学者の坪井誠太郎、地震学者の坪井忠ニは息子。

 著作
 『埴輪考 : 附・土偶土馬模型説明』 坪井正五郎 著 東洋社 
 『人類学講話』 坪井正五郎 著 早稲田大学出版部 

     

鳥居龍蔵について(徳島県立鳥居龍蔵記念博物館ホームページ より)

鳥居龍蔵(1870~1953)は、明治から昭和にかけて活躍した人類学・考古学・民族学の研究者です。1870年(明治3)4月4日、徳島市東船場に生まれました。現在の5年生相当をもって小学校を中退し、独学で人類学を学び、1890年には東京へ遊学し、2年後の1892年には一家を挙げて東京に移住しました。東京帝国大学理科大学人類学教室の坪井正五郎博士に師事し、標本整理をしながら研究に専念しました。
1898年、東京帝国大学助手に就き、1905年以降は、講師を嘱託されました。1921年(大正10)には文学博士の学位を受け、その翌年に助教授に昇進して、人類学教室第二代主任となりましたが、1924年に辞職して鳥居人類学研究所を設立し、きみ子夫人ら家族とともに活動しました。
国学院大学教授、上智大学文学部長兼教授、東方文化学院東京研究所評議員・研究員を歴任。1939年(昭和14)には、招かれて中国北京のハーバード・燕京研究所客座研究教授に就任し、1951年帰国しました。『ある老学徒の手記』(朝日新聞社)の刊行を最後に、1953年1月14日、東京都にて生涯を閉じました。82歳。
鳥居は、日本国内をはじめ、朝鮮半島・中国東北部・モンゴル・西南中国・台湾・千島列島・サハリン・東部シベリア・南米ブラジル・ペルー・ボリビアなどの各地を精力的に調査したフィールドワーカーでした。カメラの導入など、先進的な調査方法の開拓者でもありました。著書・論文多数。日本における人類学研究の先覚者として大きな業績を残しているのです。


徳島県立鳥居龍蔵記念博物館 

 




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